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論文捏造はなぜ繰り返されるのか?科学者の楽園と、背信の科学者たち

公開日: : 最終更新日:2014/10/19 オススメ書籍, ニュース, 研究・論文

先週は、小保方晴子氏の論文「学位取り消しに当たらず」(NHK)との報道が新たな議論を引き起こしているように、STAP細胞に端を発した今回の事件はまだ収束しそうにない。そんな中、論文捏造に関するこれまでの歴史について、関連書籍をまとめて読んでみたのだが、そこで改めて思うのは、歴史は繰り返されるということだ。

medium_5153001896photo credit: Larry He’s So Fine via photopin cc

 

背信の科学者たち─論文捏造はなぜ繰り返されるのか?

本書『背信の科学者たち』は、仲野徹・大阪大学教授がHONZで紹介し緊急再販を訴えたことがきっかけとなり、絶版から復刊されたものだ。その再販までたった2ヶ月しかかからなかったことを考えてみても、出版社がそして一般読者が、今回のSTAP事件そして論文捏造という、現代科学における極めて重要な問題に多大なる関心を持っていることが伺える。

 

1982年に原書が出版された本書では、同年までに捏造された数々の研究論文の背景を探っていくのだが、仲野自身が以下書いているように、歴史は繰り返されるとしか言いようがないほどに、30数年を経たいま同じことが起こり、まさに同じ議論がなされているのだ。

あらためて読み返して驚いた。この本には、捏造をはじめとする、科学者の欺瞞がすべてといっていいほど網羅されている。STAP騒動について議論されているさまざまなことは、この本からみればデジャヴにすぎない。

 

もう一つの読みどころは、本書出版(原書1982年)以降の世界のミスコンダクト事情について30ページ以上を割き、「訳者解説」どころか一章分の内容がまとめられている点だ。その解説では、米国や日本で研究ミスコンダクトを防ごうと具体的にどのような対策をしてきたのか、そしてその取り組みが実らずに、結果的には、2000年に宮城・上高森遺跡で起きた旧石器発掘の捏造、2002年に米国ベル研究所で発覚した史上空前の論文捏造、そして2005年の韓国ヒトES細胞捏造事件が起こってしまった経緯がまとめられている。なぜ起きたのか、どうすれば防げたのか、に対する有効な回答はいまもなく、そしてそれが、今回のSTAP事件で改めて浮き彫りになったのだと言えよう。

 

 

論文捏造

2006年に出版された本書『論文捏造』の主題は、上記でも触れた、2002年に米国ベル研究所で発覚した「史上空前の論文捏造事件」である。NHKが2005年に放送した番組の書籍化であり、国内外で様々な賞を受賞したドキュメンタリーということだ。この番組を直接見る機会がなかったのだが、アメリカそしてドイツで、捏造した研究者ヤン・ヘンドリック・シェーンの素顔に迫る迫力は、この書籍からも十分に伝わってきた。

ノーベル賞に最も近いといわれていた若き天才学者がいた。3年にわたって、科学の最前線で次々と驚異的な業績をあげ、カリスマとして科学界に君臨した。ところが、彼の論文は、史上まれにみる不正によってねつ造されたものだったのである。世界中の最高の頭脳はなぜ彼の不正に気がつかなかったのか?徹底的な取材により驚くべき真実が浮かび上がってきた。

 

アメリカの「科学の殿堂」ベル研究所で起こったこの論文捏造は、いくつもの点で過去の事件とは桁違いに大きなスケールで展開し、学界のみならず一般社会にも大きな衝撃をいくつも与えた。第一に、ノーベル賞受賞者を始めとする高名な科学者たちが所属する研究所で起こったこと。第二に、シェーンがベル研究所に在籍した5年間で、筆頭著者として書いた論文が合計63にも上り、そのうちサイエンス誌9本、ネイチャー誌7本という、驚異的なハイスピードの研究に世界中が注目・興奮していたこと。第三に、超電導というホットなトピックでこれだけ成果を挙げたことに対し、将来のノーベル賞受賞は確実と考えられていたこと。

 

それだけの実績がなんと、捏造だったというのだから、当時の物理学会のショックは計り知れない。しかも、(生物学等の他分野に比べ)研究捏造が行われにくいと考えられていたのが物理だったのである。しかしながら、シェーンの研究に疑問符が付けられてから発覚した事実は、データの捏造であり、グラフの使い回しであり、杜撰な研究姿勢、そして実験ノートの欠落という、まさにいま日本で追求されていることとオーバーラップする内容なのである。

 

それはすなわち、シェーン事件が突きつけた課題がいまもそのまま重い課題として残り続けている現状を示すものでもある。シェーンの上司であるバトログの管理責任はどう問われるべきなのか?重要な共著者たちは、知らなかった、自分は関係ない、と言い逃れできるのか?これもまたSTAP事件と重なることだ。そして、バトログはいまこの事件を振り返って次のように言う。

今回の事件から私たちが学ばなければならない一つのポイントは、「明らかに、捏造は起きる」ということでしょう。

 

結局のところ、信頼の上に成り立ってきた研究というものが、その信頼だけでは共同研究や査読、学会といった一連のプロセスのクオリティが担保できないということが(改めて)浮き彫りになったということであろう。しかしながら、それでは今後そのクオリティをどうコントールするのかという対策については、いまも明確な答えが見い出せない課題として突きつけられたままだ。

 

最後にもう一つ。シェーンは捏造が発覚した後、ベル研究所を解雇されただけでなく、ドイツ・コンスタンツ大学の博士号も剥奪された。しかし、その是非については今も科学界で意見が分かれている。コンスタンツ大学は、「シェーンの大学時代の研究には不正がなかった」と認めたにも関わらず、授与していた博士の資格を剥奪したからである。翻って早稲田大学では、冒頭の報道記事に戻るが、「小保方晴子の博士論文に不正があった」と認めたにも関わらず、博士の学位取り消しには当たらない、という判断をした。どちらの決定にも不透明さが色濃く残り、この問題の根の深さを示している。だからこそ、本書『論文捏造』も、上記『論文捏造はなぜ繰り返されるのか?』と合わせて、今こそ読み返されるべき一冊なのだと思う。

 

 

世界の技術を支配するベル研究所の興亡

上の『論文捏造』では、シェーンが所属し、研究捏造の舞台となった「科学の殿堂」ベル研究所という組織の変質についても書いている。自由闊達な研究風土で知られたベル研究所。研究室の扉は常に開かれ誰にでもフレンドリー、高名な研究者から駆け出しの若手まで含め、研究者同士の自由な議論が奨励されるようなオープンな雰囲気だった。

 

研究者同士の何気ない会話の中から新しいアイデアが生まれ、さらにレベルの高い研究へと昇華していく。そんな独特の空気がベル研究所を唯一無二の「殿堂」としてきたのである。しかし、時代の変化に対応するように、研究所の運営は徐々に変質していかざるを得なかった。

 

もともとは米国大手電話会社のAT&Tに属する研究機関だったベル研究所は、AT&T分社化によってルーセント・テクノロジー社に所属を移すことになるが、ITバブル崩壊によってこの親会社の経営状況が急速に悪化する中、自由闊達な研究風土で知られたベル研究所も無縁ではいられなかった。激しいリストラが断行された他、すぐにでも利益に直結するような研究が奨励されるようになった。こうしたベル研究所の隆盛と衰退については『世界の技術を支配するベル研究所の興亡』が詳しい。原著名 “The Idea Factory” はまさに、ベル研究所の最盛期の特長を一言で表している。

 

しかし、時代は変わり、それに合わせて経営も変わっていく。そんな中で彗星の如く登場したのがシェーンであり、経営が傾く研究所にとってはまさに文字通りのスターだった。それが、ベル研究所の組織的なチェック体制を甘くした側面は否めない。シェーンの超伝導研究は世界が注目するトピックであり、同分野で成果を出し続けるシェーンはベル研究所再興のシンボルともなった。だからこそ、どのジャーナルの査読プロセスよりも厳しいと言われていた、ベル研究所内部での論文審査が、シェーンに対しては機能せず、その結果として、杜撰な研究体制に誰一人最後まで気づけなかったわけである。

 

自由か管理か、真理追究か利益優先か。それはベル研究所だけでなく各種の研究機関が直面せざるを得ない問題であり、残念ながら昔のままの形で自由闊達さを残すことは難しい。では、今後の研究所はどう経営されるべきなのか?この問題に対しても、今のところ有効な回答は見当たらず、今後の課題として先送りされたままというのが現状であろう。研究者としての在り方とともに、研究所の在り方についても、改めて考えさせられるのが、世界の頂点に君臨し、そして世界最悪の捏造の舞台ともなったベル研究所の歴史なのだと思う。

 

 

科学者の自由な楽園

一方の日本、今回のSTAP事件の舞台となった理化学研究所(理研)もまた、ベル研究所と同様の自由闊達な研究風土で知られた組織だった。それはこの研究機関が『科学者の自由な楽園』と呼ばれたことからも明らかだ。それをそのまま著書名とした朝永振一郎は、自身が所属したこの組織について、次のように振り返る。

入ってみておどろいたのは、まことに自由な雰囲気である。これは必ずしもひとり仁科研究室ばかりではなく、理研全体がそうなのだが、実に何もかものびのびとしている。たとえば金の面ではこうである。(中略)新しい研究というものはどっちに進んでいくか予定することがそもそも無理なので、相当な赤字が出るのは当然のことなのだ。そういうときには、いつのまにかあとで研究所がきちんと面倒を見てくれるというぐあいなのである。

 

それ以外にも、研究者同士でオープンに議論する風土や、勤務時間の縛りのない研究環境、そうした諸々のことが朝永の「研究意欲を煽」り、かつそんな組織は当時日本には「理研しかなかった」と述懐する。理研とはまさに日本におけるベル研究所のような「科学者の楽園」だったのであろう。

月給はくれるが、義務はない。いや、義務はなにもないのに、月給はちゃんとくれるといった方がよいだろう。義務がないということはまことによいことである。というと、怠け者の言にきこえるかもしれないが、本当はかえってこれほど研究に対する義務心を起させ、研究意欲を煽るものはないのである。

 

 

「科学者の楽園」をつくった男:大河内正敏と理化学研究所

本書『「科学者の楽園」をつくった男』は、そんな理研をつくった大河内正敏を取り上げたノンフィクションであり、とても興味深く読んだ。安易な応用研究ばかりではなく、欧米のように国家をあげて基礎研究を推進する必要があるという構想に共感した渋沢栄一の尽力もあり、「公益法人理化学研究所」が誕生したのが、1917年(大正6年)のことだった。

 

その理研の第三代所長に就いたのが、東京帝大教授の職にあった大河内正敏。朝永振一郎がその著書で懐かしく振り返るような、自由に研究に熱中・没頭できるような環境をつくったのが、この大河内であった。その背景には大河内の経営手腕があり、基礎研究をもとにした会社をいくつも興し、事業収入や特許収入をもとに新たな研究の資金としていた。また、大河内がこのような経営を志向したのも、国家に研究資金の面では期待できないことを痛感し、みずからの手で理研を食わせていかねばならない、という強烈なる責任感があったことも紹介している。

 

大河内が次々と生み出した企業群はその後「理研コンツェルン」と呼ばれるほどに拡大し、鮎川義介率いる日産と合わせ、当時の新興コンツェルンとして各方面で影響を及ぼした。それは現在においても、リコー、理研ビタミン、理研食品といった企業名で我々にもお馴染みである点に、理研が基礎研究のみならず産業界にも多大なる足跡を残したことが伺える。

 

しかしながら、ベル研究所と同様に、理研も昔ながらの楽園であり続けることは困難だった。今回のSTAP事件に関しても、理研の組織運営の面からは、政府が新設を目指す「特定国立研究開発法人(仮称)」に格上げされることを目指してきたという報道が数多くあった。そのためのホットな研究がSTAP細胞であり小保方晴子がそのヒロインであったというのは、ベル研究所の超伝導研究にシェーンというヒーローがいたということと相似形をなす。

 

今回のSTAP事件は、研究捏造は国や組織や分野に関係なく起こるということを突きつけ、これからも高い可能性で起こりうることを示唆している。1982年に原著が出版された『背信の科学者たち』の警鐘も虚しく、その20年後にベル研究所で起こった超電導研究の捏造、そのさらに10年後に理研で起こったSTAP細胞研究の数々の不正。我々は今度こそ歴史に何かを学ぶことができるのだろうか?

 

 

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