シンガポール建国50周年|エリート開発主義国家の光と影の200年
先日で建国50周年を迎えたシンガポール。Economist や、Wall Street Journal 等、各紙が同国のこれまでの半世紀をデータや写真で振り返る特集を組んだ。まずはご存知のように、過去50年間の同国の経済成長はめざましく、GDPは建国当時と比べて40倍に。
そして国民一人当たりGDPで見ても、シンガポールが世界で最も裕福な国の一つとなったことは誰の目にも明らかである。
街中を歩いても清潔で安全。空港へのアクセスや市内交通も快適この上ない。2010年に開業したマリーナベイ・サンズは、3つの高層ビルが屋上で連結したユニークな建築であるばかりか、世界最大のカジノを備えており、新たな観光名所となっている。
僕自身は2年前にひさびさにシンガポールを訪れたのだが、それ以前のときと比べて見違えるような発展ぶりに改めて驚嘆するばかりであった。そして同国の現在の繁栄の礎を築いたのが、この人リー・クアンユー。今年3月に世界中から惜しまれつつ亡くなった不世出のリーダーだった(参考:東洋経済「リー・クアンユー氏死去、91年の偉業とは?」)。
そのリー・クアンユーが人目をはばからず涙したのは、まさに50年前のシンガポール独立の時だった。しかしそれは歓喜の涙ではなく、絶望の涙であった。半生記前の同国の独立は、自らの手で勝ち取ったものではない。それどころか、マレーシアから見捨てられ切り離される形で、誰にも望まれない中での船出となった。
だからリー・クアンユーは、あまりにも脆弱だったシンガポールを文字通り独立した一人前の国とするために、経済成長に向けてありとあらゆる手を打ち、そして今や世界中から人と金が集まる世界最富裕の現在のこの都市国家を築き上げた。その国家運営の手腕は他国のリーダー達が一目も二目も置くものであり、それがリー・クアンユー死去の際には多くの弔意とこれまでの指導力への賞賛を集めることとなった。
しかし一方では、現在のこの繁栄を得るためにシンガポールが失ったものも多いと指摘するのが、こちらの好著『物語 シンガポールの歴史』である。同書サブタイトルが「エリート開発主義国家の200年」とされているように、本書は同国の独立後50年間だけでなく、イギリス人ラッフルズがこの地域に到達し植民地化した200年前に遡って歴史を概観したものである。興味深く読める第一点目は何といっても、今もシンガポールのラッフルズ・ホテルにその名を残すラッフルズの視野の広さ、気づきの深さ、そして構想力の大きさであろう。東西航路・貿易の結節点に当たるシンガポールの地政学上の重要性にいちはやく気付き、本国の許しを得ないまま植民地化に動いたのだが、それが結局は大英帝国の隆盛の支えともなるわけだから、歴史は面白いものである。
そしてもう一つの読みどころは、先に書いたようにシンガポールが経済成長を国是とした結果として犠牲とせざるを得なかったもの。それが政治。資源の乏しい小国において無駄なく最大の効率で経済を発展させようとするあまり、国家統制は極めて強い。言論や政治活動に対しては常に監視の目が光っており、それが同国がいまも「明るい北朝鮮」と揶揄される所以となっている。
それ以外にも、国民を束ねる国の文化がないのも同国のアキレス腱だと本書は指摘する。経済成長という方向性一点で、かつそれを実現させ続けることで国民をまとめてきたシンガポール。しかし経済に陰りが見えた時、歴史が浅く移民も多く、国としての独自の文化醸成を軽視してきたシンガポールは、どのようにして国民の求心力を維持していくのかという懸念である。そのとき、これまで不自由であった政治に対する国民の不満が爆発する危険性もあろう。シンガポールが過去半世紀の間に達成した奇跡のような経済成長だけでなく、その背景で目をつぶってきたことにも焦点を当て、その上で同国の将来展望について描写する本書は、シンガポールという国を理解する上で最適の一冊と言えよう。2年前にシンガポールを訪れる際に持っていった一冊だが、同国の独立50周年というこの機会に、もう一度読み返してみようと思う。おすすめの一冊です。
Amazon Campaign
関連記事
-
クリエイター佐藤雅彦が好きだ|最新著『ベンチの足』にみるユニークな視点
佐藤雅彦ほど「クリエイター」という表現が似合う人はいないのでは、と個人的に思っている。アーティストで
-
将棋竜王戦ランキング戦決勝|杉本八段と藤井七段の師弟対決が素晴らしかった
前回、「藤井聡太七段が先勝|現役最強棋士・渡辺棋聖とのタイトル戦」でも書いたように、いま将棋がむちゃ
-
アメリカの歴史をつくる9人の連邦最高裁判事
就任以来すでにいくつもの声明を発表し、そのたびに世界が最大限の注目を払ってきた米国トランプ大統領が、
-
できる研究者の英語プレゼン術|スライド作成からストーリー展開まで
以前に紹介した、ポール・シルヴィア著の『できる研究者の論文生産術』は素晴らしい一冊である。著者は20
-
新書『英語独習法』が売れている|認知科学者がおしえる思考と学習
岩波新書の今井むつみ『英語独習法』が売れている。僕自身も大変興味深く読んでおり、これは英語学習者にと
-
「伊藤若冲と京の美術」展を観に行ってきた:奇想の画家が発見された背景
相変わらずの伊藤若冲の人気ぶりと言えよう。先日は新潟県立万代島美術館まで「伊藤若冲と京の美術」展を観
-
箱根駅伝・青山学院の圧勝で見せつけた原晋監督のマネジメント能力
2022年の箱根駅伝も面白かったですね! レース自体は青山学院の記録づくめの圧勝という形で終わったた
-
米ソ冷戦に翻弄された天才チェスプレイヤー、ボビー・フィッシャーの生涯
日曜日夜にNHK-BSで放送された「天才ボビー・フィッシャーの闘い~チェス盤上の米ソ冷戦~」をとても
-
「われ敗れたり」:完敗だったが名勝負もあった第3回将棋・電王戦
今夜11時放送のTBS「情熱大陸」は、将棋・電王戦。 将棋のプロ棋士とコンピューター将棋ソフトが
-
これは面白いピタゴラス的発想!|「解きたくなる数学」をビジュアルで考える
以前に「クリエイター佐藤雅彦が好きだ|最新著『ベンチの足』にみるユニークな視点」でも書いたように、僕