アメリカ大統領選挙まであと数日|敗者の演説で振り返るステーツマンシップ
ヒラリー・クリントンとドナルド・トランプの、泥仕合のまま迎えることとなりそうな米国大統領選挙。8年前、僕がアメリカにいたときにオバマ大統領が誕生したあの時のあの盛り上がりから一変、今年はどちらが勝利しようともアメリカ国民から大きな歓声があがることはなさそうだ。
まずはヒラリーについて。冷たいイメージのある彼女がこれまでの輝かしいキャリアの中で大きく傷つけられたのが、その8年前だった。以前に「ヒラリー・クリントンの敗者の演説」で次のように書いた通り、民主党の指名争いでバラク・オバマに敗れ失意のどん底にあった中、党大会に久しぶりに姿を現すこととなった彼女が何を話すのかに、全米の注目が集まっていた。そしてその日、結果的に、指名を受けたオバマと同じくらい、いやもしかするとそれ以上に輝いたのが、まさにヒラリーだったのである。
オバマとの指名争いが最後まで接戦となったせいで、民主党内の亀裂が見過ごせないほどに深まった。これから共和党との本選を戦うためには、再度党内の融和が欠かせない、そんな背景のもと、党大会でのヒラリー・クリントンの発言に注目が集まった。オバマに負けた彼女が何を話すのか、これからオバマ支持に回れるのか、そんな不安で不穏な、ぴりぴりとした雰囲気が党内にあったことだろう。
だが、その不安は全くの杞憂に終わる。彼女の本当に素晴らしい演説のおかげで。
娘のチェルシーに紹介されて登壇した彼女は、「私は今日、母親であることを誇りに思い、民主党員であることを誇りに思います」と話し始める。そして、「それと同時に、ニューヨーク州上院議員であること、アメリカ人であることを誇りに思い、そして何よりも、バラク・オバマ上院議員の支援者であることを誇りに思います」と続ける。そしてそこで、満場のスタンディングオベーションだ。
その瞬間、緊迫した空気がすべて消し飛んだのだと思う。「融和」というと氷が溶けて水になるように、じわじわ進んでいくものかと思っていた。違うんだ。一瞬なんだ。まるで超高温の熱で、瞬時に氷を蒸発させてしまったかのように。そして、もちろん、その熱さの源は彼女のハートだ。
この演説には、ユーモアがあり、オバマへの賛辞があり、マケインへの皮肉があり、そして政治家としての彼女自身の思いが詰まっている。 “Single party” として “Single purpose” のために、”Keep going” と党内に呼びかける後半の山場は、23:20 から。僕はこの演説を聞き、いっぺんで彼女のファンになってしまった。それまで冷たいイメージの強かったヒラリーが、ひょっとすると、今までで一番輝き、今までで一番みなに愛された日だったのではないだろうか。
しかし、あれから8年が経ち、いままたヒラリーは冷たいエリート人間という評価を受けている。これまで3回行われた公開討論会でも、人間くささや温かみといったものが伝わったとは言い難く、それゆえにトランプに対する圧倒的アドバンテージを活かすことができずに、盛り上がることのない接戦を演じ、投票まで最後の数日を迎えざるを得ない状況となっている。
一方のドナルド・トランプだ。もし敗れた場合にも選挙結果を受け入れないと言い放ったりするように、これまでの大統領候補とは似ても似つかない姿勢に多くのアメリカ国民は困惑していることだろう。これも8年前を振り返ってみればよく分かることだ。あのとき、共和党候補として指名を受けたジョン・マケインは、オバマと争った大統領選挙に敗れ、敗者としてメディアのカメラの前に立っていた。しかしそこで彼が話したのが、「ジョン・マケインの敗者の演説」でも紹介したように、実に素晴らしい内容だったのである。
結果としてはオバマに完敗、ブッシュ現大統領の不人気や、金融危機議論の再燃等、マケインにとっては逆風が強かったとはいえ、無念の思いは相当だろう。とくに、年齢的にも大統領選出馬が今回が最後であっただけに。しかし、マケインはそんな素振りすら見せない。
オバマの勝利を祝福するマケインに対し、当初ブーイングする聴衆。それを制するマケインの姿勢や、アフリカ系アメリカ人にとっての意味に言及する内容、選挙直前で亡くなったオバマの祖母に対する哀悼の意等、負けてなお立派な演説だ。
ヒラリーにしてもマケインにしても、自分が敗れたことを潔く認めるとともに勝者をたたえ、そしてこれからよりよい国づくりに向けて取り組んでいこうという志を、ステーツマンシップと呼ぶのだろう。しかし、今のヒラリーに8年前のあのときの暖かさと熱さは残っているのだろうか?対するトランプには、負けてなおアメリカ国民からの尊敬を得たマケインのような、心に残るスピーチができるのだろうか?
最初から最後まで、まったくと言っていいほど見どころのなかった今年の米国大統領選挙は、様々な観点から歴史に残る汚点を記録し続けていると言えるだろう。ここまできてしまった以上、最後まで見届けざるを得ないという気持ちで、来週に迫った選挙を見守ろうと思う。
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