*

若き研究者フィギュアスケート町田樹のスポーツ文化論

公開日: : 最終更新日:2022/01/10 オススメ書籍, スポーツ

2022年の冬季北京五輪の開幕も近づいてきた。ウィンタースポーツの代表例のひとつが、フィギュアスケートであり、日本としても毎回男女ともにメダル獲得が期待される種目である。そんな歴代のフィギュアスケーターの中で、誰が印象に残っているだろうか? 金メダルを獲った荒川静香や羽生弓弦はもちろん真っ先に思い浮かぶだろう。ただ、それ以外でいうと、僕は個人的に町田樹が忘れられない。

 

 

 

当時から観客を魅了する滑りと演技は、高難易度ジャンプとはまた別の魅力があることをわれわれに強く訴えていたように思う。そう、彼は氷上の求道者であり表現者であり訴求者であり、その姿に僕はくぎ付けとなっていたことを思い出す。そんな彼は、アイスリンクを去ったあと、大学院へ進学しスポーツの研究に取り組んでいたことまでは、ニュースなどでも報道されていのでご存知のかたも多いことだろう。しかし、その後、早稲田大学でスポーツ科学分野で博士号を取得し、2020年からは國學院大學の助教を務めていることまで知っている人はどれくらいいるだろうか。そう彼は今、若き研究者としての第一歩をあゆみだしたところなのだ。だからもちろん、研究者のひとりとして、research map には登録しているし、それを見れば数多くの研究を手がけ、その成果を学会で発表し、そして今では大学で講義をしていることが分かる。

 

そんな彼の代表作が以下の『アーティスティックスポーツ研究序説』である。聞き慣れない「アーティスティックスポーツ」とは何か?その説明の前に、まずはスポーツ競技の分類から始めよう。「対戦競技」とは、サッカーや野球のように、相手と対戦して勝ち負けを争うもの。一方で、マラソンや100メートル走などの陸上種目や水泳種目の多くは、どれだけ早いかを競う「記録競技」である。そしてここからが大事なのだが、スポーツには上記以外にも、芸術的なスポーツと呼ばれるフィギュアスケートや新体操があり、これから「採点競技」に分類されるわけだ。

 

この採点というのがなかなか厄介なのはわれわれ視聴者も実感しているところであり、あんなに上手い演技なのに得点低くない? とか、えっどうしてあれが高得点に? なんてことがしょっちゅう起こるわけである。しかし、研究者・町田樹が研究論文のなかで訴えたいのは、そうした採点制度や審査員の問題ではないのである。そうではなく、彼はさらに芸術性が求められる「採点競技」のなかでも、フィギュアスケートと新体操とでは、スポーツとしての本質が全く異なると喝破するのだ。

 

その違いの根幹にあるのは、技の難度と完成度によって勝敗を分かつ体操と、音楽をも表現する技量が求められるフィギュアスケートの差異なのである。これはまさに当時の町田の演技を見ていた人ならうなずくことばかりの指摘だろう。そう、彼の演技は音楽に合わせて自らを表現するその創造性・芸術性・情熱といったものがすべて含まれている総合的パフォーマンスだったのだから。そして、彼はこうした音楽性を内包したフィギュアスケートのような芸術競技を、体操競技等とは分けて考えるために、「アーティスティックスポーツ」と定義するのだ。

 

なぜこのようにさらなる細かい分類が必要なのか?それは単純な区分ではなく、彼の著書の第2部で詳細に議論しているように、この音楽性を内在するアーティスティックスポーツが唯一、舞踊作品などと同様の「著作物」となるからなのだ。この視点は実に新しく、研究者ならではであろう。ふつうの一選手であれば、与えられたルールの中で最大のパフォーマンスを発揮しようとすることだろう。しかし、今は研究者となった彼はそこから議論のレベルとひとつあげ、フィギュアスケートの特徴とはなにか、他のスポーツ種目とくに採点競技との差はどこにあるのか、そしてそこからスポーツ著作権の問題に斬り込む。

 

いやぁ、こういう展開はまったく想像していなかった。それは彼の著書の議論の運び方と同時に、彼のキャリアに対する驚きでもある。しかし、今思えば、それも彼にとっては極めて自然な道順だったのかも知れない。選手時代、情熱的な踊りと滑りで魅了する一方で、ジャンプ難易度とは一線を画したプログラムづくりや、どこか冷めたというよりはクールな視線と視点。そう、彼は当時から考えるフィギュアスケーターだったのである。であるならば、僕らは大きく誤解していたのである。彼は天性のスケーターなのではなく、研究職こそが肌にあう合理的なリアリストだったのだと。

 

参考:AERA「町田樹「フィギュアの演技も著作物」 氷上から学術界転身でスポーツ界の課題解決」

 

スポーツか、アートか――。

フィギュアスケート、新体操、アーティスティックスイミング、ダンススポーツなど、スポーツとアートの重複領域についての初の論考。〈アーティスティックスポーツ〉という身体運動文化を、経営・経済学、法学、社会学、芸術学などを横断して探究する。新進気鋭の若手研究者がスポーツ科学に新たな沃野を拓く画期的な著作。本書は全六部構成となっており、その中でアーティスティックスポーツをめぐる「美学論(第I部)」、「著作権論(第II部)」、「作品批評論(第III部)」、「市場経済論(第IV部)」、「産業論(第V部)」、「アーカイブ論(第VI部)」が次々に展開される。これから先の時代、アーティスティックスポーツの文化はいかにあるべきか――スポーツとアートが汽水域のように交じり合う身体運動文化を永続的に存続させるための創造と享受のあり方について、学際的観点から徹底的に考察していく。スポーツ科学の学術界はもとより、アーティスティックスポーツに関わるすべての人々にとって必読の書となるだろう。

 

 

Amazon Campaign

follow us in feedly

関連記事

打倒青山学院|来年の箱根駅伝をもっと面白くするこの5冊

青山学院の5連覇がかかる来年の箱根駅伝、僕もまた正月の2日間テレビの前に釘づけとなってしまうことだろ

記事を読む

【おすすめ英語テキスト】重要単語を因数分解|語源から根こそぎ完璧に理解する

現在開催中のKindle本ストア 9周年キャンペーン。本日はこの中から最大級におすすめしたい、この英

記事を読む

ニューノーマルなバレンタイン|恋と愛とチョコレートの経済学

バレンタインな週末がやってきましたね。諸兄の皆様方に置かれましては、ニューノーマルな暮らしの中におい

記事を読む

難敵アンディ・マレーをフルセットで倒した錦織が準決勝進出|データで見る全米オープンテニス

思わず早朝からWOWOWで生中継を見てしまった本日の全米オープンテニス。ついに錦織がやってくれて大興

記事を読む

将棋棋士初の栄冠|『Number MVP賞』は 藤井聡太二冠に決定

先日は以下のエントリでも書いたように、2020年は間違いなく藤井聡太の一年でもあり、将棋棋士がアスリ

記事を読む

闘う頭脳|将棋棋士・羽生善治VSチェス棋士ガルリ・カスパロフ

今年3月にNHKーETV特集で放送された「激突!東西の天才 将棋名人羽生善治 伝説のチェスチャンピオ

記事を読む

綻びゆくアメリカと繁栄から取り残された白人たち

2014年に翻訳出版された『綻びゆくアメリカ―歴史の転換点に生きる人々の物語』に今また注目が集まって

記事を読む

グラデーションマップで類似英単語を効果的に使い分ける

評判のよい英単語帳を新たに買って読んでみた。そしたらこれが期待以上によかったので紹介しておきたい。そ

記事を読む

ゲーマーとお金|さらなる有望産業 eスポーツビジネス

ご存知のとおり今回の東京五輪からは、スケートボードや、サーフィン、そしてスポーツクライミングといった

記事を読む

【おすすめ書籍】ハーバード数学科のデータサイエンティストが明かす恋愛ビッグデータの残酷な現実

アメリカでベストセラーとなった一冊 "Dataclysm" がようやく翻訳出版された。これは人気出会

記事を読む

Amazon Campaign

Amazon Campaign

卒業・入学おめでとうキャンペーン|80年記念の新明解国語辞典で大人の仲間入り

今年もまた合格・卒業、そして進級・進学の季節がやってきた。そう、春は

食の街・新潟県南魚沼|日本一のコシヒカリで作る本気丼いよいよ最終週

さて、昨年10月から始まった2022年「南魚沼、本気丼」キャンペーン

震災で全村避難した山古志村|古志の火まつりファイナルを迎える

新潟県の山古志村という名前を聞いたことのある人の多くは、2004年1

将棋タイトル棋王戦第3局|新潟で歴史に残る名局をライブ観戦してきた

最年少記録を次々と塗り替える規格外のプロ棋士・藤井聡太の活躍ぶりは、

地元密着の優等生|アルビレックス新潟が生まれたサッカーの街とファンの熱狂

J2からJ1に昇格・復帰したアルビレックス新潟が今季絶好調だ。まだ4

【速報】ついに決定|14年ぶりの日本人宇宙飛行士は男女2名

先日のエントリ「選ばれるのは誰だ?夢とロマンの宇宙飛行士誕生の物語」

3年ぶりの開催|シン魚沼国際雪合戦大会で熱くなれ

先週末は、コロナで過去2年間見送られてきた、あの魚沼国際雪合戦大会が

国語の入試問題なぜ原作者は設問に答えられないのか?

僕はもうはるか昔から苦手だったのだ。国語の試験やら入試やらで聞かれる

PAGE TOP ↑