テニスプロはつらいよ|トッププレイヤー錦織圭とその他大勢の超格差社会
公開日:
:
最終更新日:2017/07/28
オススメ書籍
2014年の全米オープンテニスで日本人初のグランドスラム決勝進出を果たした錦織圭。その後の凱旋ツアーとなった楽天ジャパン・オープンでは見事優勝を飾り、世界ランキングを6位にまで上げ、日本中が錦織ブームとテニスブームに沸いた。しかしそれから3年が経った今、錦織に当時の輝きはない。世界ランキング8位に着けているとはいえ、毎年毎年期待されるグランドスラムも上位進出はならず、今年の全仏やウィンブルドンも早々に敗退し、ファンを落胆させたのはまだ記憶に新しい。果たしてなにが問題なのか?
その不調の原因としてまっさきに挙げられるのがプライベート事情。より具体的には、報道されているように現在のガールフレンドが、マイケル・チャンを始めとするコーチ・スタッフ陣から歓迎されていないということ。それが解決されない限り、錦織が世界の頂点に立つことなどありえないと思っている人、多いでしょ? 僕自身もそう思ってましたよ、ビッグ4のようにしっかりと支えてくれる奥さんがいてこそのトップ・プレイヤーなのだと。それが果たして今のガールフレンドに出来るのか、と疑問に思っている人、たくさんいるでしょ?
確かにそうかも知れないのだけど、僕はこの本『テニスプロはつらいよ~世界を飛び、超格差社会を闘う~』を読んで大きく考え方を変えることとなったのだ。本書を読み終わって真っ先に思ったのは、錦織の現在の位置に到達するまでにどれほど大きな壁があるのかということ。そのハードルを初めて具体的に理解することができ、その壁の高さに絶望すると同時に、それを乗り越えた錦織をあらためて畏敬の念をもって見つめることとなったのだ。われわれ日本のファンはすぐに、「次回こそグランドスラム優勝だ」と簡単に期待するけれども、そもそもグランドスラムに出場することがどれだけ大変なことなのか、分かってます?僕は本当に全く知らなかったのだ、この本を読むまでは。
本書の主人公は関口周一。日本のトップ10プレイヤーだが、彼の名前を知っているのはよほどコアなテニスファンだけだろう。もちろん僕も初めて聞いた名前だった。しかし、彼の世界ランキングが現在350位前後と聞けばそれも納得せざるを得ない。なにしろグランドスラム本戦に自動的に出場が決まるのが100位までの選手たち、グランドスラム予選に参加できるのもせいぜい200位までであることを考慮すると、関口周一がグランドスラムに出場することは遥か先の目標であるのだから。
小学生の頃からめきめきと実力をつけ、中学校もほとんど欠席しがちで通信簿は空欄だらけ、テニススクールの近くに一家で引っ越し、高校も通信制に進学し、テニスプロの道をまっしぐらに歩んできた。しかし、プロになるまでには、そしてプロになった後にも続くのが経済的な問題だ。テニスが上手くなればなるほど、スクールやラケットにガット張り、プライベートコーチに遠征と、お金はいくらでもかかってくる。それをどうやり繰りすればよいのか?答えはひとつしかなく、家族の支えである。錦織もそうだが、関口周一もまた普通のサラリーマン家庭に育ち、だからこそお金の問題はつねに家族の課題だった。しかし息子のやる気を応援したいという両親の強い思いで、関口はここまでやってこれた。
しかし、あのとき勝てていればと本人も思い返さざるを得ない、人生で3つのターニングポイントがあり、そのいずれでも成果を出せなかったことが、今の関口の苦境の原点となっている。現在のプロ賞金は年間200万円程度と、大学新卒サラリーマンの平均初任給よりも低い。しかも海外での転戦の多さを考えればそれにかかるコスト(航空券、ホテル、食事等)は膨大で、もはや手取りなど微々たるものだと言わざるを得ない。本書の中でも生々しく紹介されるように、格安エコノミーチケットを買い、宿泊は仲間とシェアし、できるだけお金をかけないように海外をまわるツアーは、「プロ」という言葉がイメージする華々しさとはまったく無縁である。
突然変異のように誕生した錦織圭というスーパースターの光はまた、本書の主人公である関口周一のようなその他大勢の影の部分を際立たせる。日本のトップ10程度では食べていくことができないという現状、世界のトップ10に入ることがどれだけ困難なことなのか、本書を読みそれを理解できるようになったときには、僕らはもう少し錦織とそのガールフレンドのことを温かい目で見ることができるのではないだろうか。「次こそグランドスラム優勝」などと簡単には口にしてはいかないと痛切に実感できる本書は、テニス業界の知られざる実情を生々しく描写した一冊して、きわめて興味深く読むことができるはずだ。
34億円。プロテニス選手の錦織圭の年収だ。淡い幻想を抱いてしまうが、「テニスで食べる」のは想像以上に難しい。テニス雑誌元編集長の著者がプロテニス選手の経済事情を赤裸々に明かす。主人公は錦織より2歳年下の関口周一。世界ランキング最高位は259位。中学校から完全にテニスに専念、高校も通信制を選んだ。サラリーマン家庭に育った彼がプロになるまでの家計の負担、そして今の収入。日本ではトップ10に入っており、海外を転戦しているが、年間の獲得賞金は200万円にも満たない。関口はジュニア時代は世界ランク5位にまでのぼりつめ、将来を嘱望された。一つの試合の一つのミスで歯車が狂い始めるのだが、それは一流と二流の差が紙一重であることも物語る。
Amazon Campaign

関連記事
-
-
Kindle電子書籍で手に汗握って読む、箱根駅伝をより面白くするこの3冊
いまや国民的イベントにまで人気が拡大した、正月の風物詩・箱根駅伝。僕も含めて毎年楽しみにしている人は
-
-
あの伝説の一戦「3連勝4連敗」から9年|羽生善治・永世七冠誕生
2017年12月5日、長い将棋の歴史に新たな偉業が刻まれた。羽生善治が竜王位を奪還し永世竜王となり、
-
-
アメリカで最もお世話になったあの老夫婦がこの夏日本にやって来る
僕が米国留学で一番お世話になったのは、ひょっとすると大学院の指導教授ではなく、むしろアカデミックとは
-
-
なぜ日本の新幹線は世界最高なのか?定刻発車と参勤交代
"Why Japan's high-speed trains are so good" というEco
-
-
人はなぜ走るのか?を問う『Born to Run~走るために生まれた』は、米国ランナーのバイブル
米国で異例のベストセラーとなり、何度目かのランニング・ブームを引き起こした一冊『Born to Ru
-
-
アカデミアへの転身と、アカデミアからの転身
日本テレビの桝太一アナウンサーが、16年間在籍した同局を今年3月で退社し、4月からは同志社大学ハリス
-
-
『ヤバい統計学』とテーマパーク優先パスの価格付け
『ヤバい経済学』の大ヒット以来、『ヤバい社会学』、『ヤバい経営学』と続けてきたこのシリーズ。内容その
-
-
[若きテクノロジストのアメリカ]宇宙を目指して海を渡る~MITで得た学び、NASA転職を決めた理由
『宇宙を目指して海を渡る~MITで得た学び、NASA転職を決めた理由』を読み終えた。少年の頃に天体に
-
-
イェール大学出版局 リトル・ヒストリー|若い読者のための「考古学史」のすすめ
以前にも紹介したことのある、「イェール大学出版局 リトル・ヒストリー」のシリーズ。いまのところ5冊が
-
-
辺境ライター高野秀行の原点『ワセダ三畳青春記』の「野々村荘」こそ日本最後の秘境
「高野秀行はセンス抜群の海外放浪ノンフィクション作家」にも詳しく書いたように、辺境ライターこと高野秀