辺境ライター高野秀行の原点『ワセダ三畳青春記』の「野々村荘」こそ日本最後の秘境
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最終更新日:2017/08/30
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「高野秀行はセンス抜群の海外放浪ノンフィクション作家」にも詳しく書いたように、辺境ライターこと高野秀行は現代最高峰のノンフィクションの書き手だと思う。海外を放浪し、秘境を訪ね、ときに怪獣を始めとする未確認物体を血眼になって探す、その体を張ったルポルタージュは彼にしか書きようのないものであり、それが文体の熱となって読者に伝わる。万人受けはしないかも知れないが、熱烈なファンが多いというのは、書籍のカスタマーレビューを見てもよく分かる。
そんな高野が早稲田大学探検部メンバーとして過ごした学生時代と、ボロアパート「野々村荘」での現実とは思えないほどの暮らしぶり、それを綴った傑作がこの『ワセダ三畳青春記』である。
三畳一間、家賃月12000円。ワセダのぼろアパート野々村荘に入居した私はケッタイ極まる住人たちと、アイドル性豊かな大家のおばちゃんに翻弄される。一方、私も探検部の仲間と幻覚植物の人体実験をしたり、三味線屋台でひと儲けを企んだり。金と欲のバブル時代も、不況と失望の九〇年代にも気づかず、能天気な日々を過ごしたバカ者たちのおかしくて、ちょっと切ない青春物語。
この青春記の「はじめに」で高野はこう書く。本書でも語られるように、キムタクもドリカムも知らずに過ごした彼のポストバブル時代は、確かに日本の常識から見ればいかに隔絶したものだったか。しかもここには確かに常識はずれの奇人変人が棲息しており、高野にとっての辺境・秘境とはこの「野々村荘」にそのルーツが見えてくるのではないかという気さえする。
早稲田大学の正門から徒歩五分。路地裏を入れば、大きなクルミの木のかたわらに古い木造二階建てのアパートがある。 私は一九八九年から二〇〇〇年まで、この古アパート「野々村荘」で暮らした。うち八年間が三畳間で、終盤で四畳半へ移った。年齢でいえば、二十二歳から三十三歳にかけてである。その間、バブルは絶頂期を迎え、やがて崩壊し、慢性的な不況へ突入するのであるが、アパートはそういった世間の動向からまったく隔絶して存在し続けた。私が入居している間、三畳間の家賃は一円たりとも上がらず、一万二千円のままであったことでもそれはよくわかるだろう。 大家は浮世離れしており、住人は常軌を逸した人ばかりで、また私の部屋に出入りする人間も奇人変人の類がマジョリティを形成していた。 これはその約十一年間の物語である
photo credit: Lena LeRay via photopin cc
本書の中で個人的にとくに印象に残ったのが、高野の三十三歳の「初恋」の相手が、書いた本がまったく売れない駆け出しライターの高野に言う次の台詞。
「高野くんの書くものは売れないよ。ちょっと変だもん」その人は断言した。「だけどね、絶対におもしろい。あたしは自分の文章には自信ないけど、人の文章を見る目はあるの。あなたの書く文章はすごく『粋』」
そう、確かに彼女が言うとおり、高野の書く文章はちょっとどころかだいぶ変。だけれどもそれがものすごい面白さを帯びているのだ。読み手を惹きつけて離さない磁力と言ってもいい。それを「粋」と見事に表現する彼女に思わず嫉妬しそうになったじゃないか(笑)。そんな彼女との出会いもあり、高野はついに11年間の早稲田生活に終止符を打つ決心をし、次のステップへと踏み出す。実にすがすがしい読後感に包まれた一冊だった。
ここを離れるというのが今でも信じがたい。おばちゃん、探検部の連中、そして奇態な住人たちが引き起こした珍事件、珍騒動の数々が思い浮かんだ。あの長くて濃密な時間がたしかにここにあった。 「お世話になりました」私はアパートに向かって深々と頭をさげた。 これから新しい世界に足を踏み出す。ワセダにも野々村荘にもいつでも戻ることができるが、それは部外者として立ち寄るだけだ。もう二度とこの場所に所属することはない。 さらばワセダ、さらば野々村荘。 さんざめく光の中、私は地下鉄の駅を目指してゆっくりと歩いていった
本書『ワセダ三畳青春記』も実に高野らしい素敵な一冊だった。しかし、彼の本業である「辺境ライター」の一端を見るのであれば、やはり個人的にイチオシしたいのが、なんといっても、麻薬生産地ゴールデン・トライアングルに滞在し自らアヘン栽培に汗を流した『アヘン王国潜入記』と、飲酒厳禁の厳格なイスラム教国において地元の人が地元の人のために密造密売する地酒を味わいに行く『イスラム飲酒紀行』だ。ものすごい体の張り方、命の賭け方だからこそ、彼の文章は「彼女」の言葉を借りれば、ものすごく「粋」なのである。疑いようもなく、現代稀に見る傑作ノンフィクションだと断言できる。
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