『ゼロ・トゥ・ワン』のティールと米国社会の変容『綻びゆくアメリカ』
米国の著名投資家ピーター・ティールが著した『ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか』が、「今年一番のおすすめ経営書」として多方面から評価されていることに異論がある人は多くはないだろう。それくらい、いま世界がその一挙手一投足に注目する人物なのである。
しかし、今日紹介したいのはその一冊ではなく、彼を主人公に据えたノンフィクション『綻びゆくアメリカ―歴史の転換点に生きる人々の物語』である。2013年にアメリカで出版され大きな話題となったこの大作ドキュメントが、こんなにも早く邦訳されるとは思ってもみなかった。上記『ゼロ・トゥ・ワン』を日本でも米国と同時発売し、かつKindle版も同時発売という素晴らしい仕事をしたNHK出版が、またしてもグッジョブ!
社会の紐帯を失い、人々はどこへ向かうのか。
雇用システムの崩壊、政権の弱体化、貧富の格差……。いま人々は進むべき道を模索している。『ニューヨーカー』の寄稿家が、バイオ燃料の伝道師、コミュニティ活動家など、市井の人々の苦闘する姿から描いた社会の内側。徹底した取材で活写した群像劇は、現代アメリカを肌で感じさせてくれる。全米図書賞受賞・NYタイムズベストセラーの話題作。

photo credit: Steve Snodgrass via photopin cc
本書『綻びゆくアメリカ―歴史の転換点に生きる人々の物語』に登場する主な主役は4人。バイオ燃料の起業家ディーン・プライス、コミュニティ活動家のタミー・トーマス、政界インサイダーのジェフ・コノートン、そしてベンチャーキャピタリストのピーター・ティール、である。全く異なるバックグラウンドを持つこの4人を横軸に、1978年から2012年という長期に渡る時間軸をとって、この間に生じたアメリカの政治的・経済的・そして社会的な変遷を描こうというのが、この大作が意図するところである。
邦訳で700ページのこの大著が、しかしながら予想以上にすんなりと読み込めるのは、著者ジョージ・パッカーがジャーナリストにして劇作家というもう一つの顔を持っていることが大きな理由であろう。上記4人の人生の傍らに立ち、その喜びと悲しみを生々しく活写するのみならず、彼らの変容をより立体的に浮き上がらせるために様々な脇役を用意している。それが、ニュート・ギングリッチやコリン・パウエルといった政治家であり、オプラ・ウィンフリーやサム・ウォルトン等のビジネスパーソンであり、そしてフロリダ州タンパとウォール街という特徴的な町なのである。彼らもまた今までのアメリカを象徴する人物であり、だからこそ歴史の転換点に立つ証人としてこれ以上ないほどに相応しい配役と言えるだろう。
本書で描かれるように、過去35年間でアメリカは大きく変わった。それは豊かな中産階級の縮小であり地域経済の疲弊であり政治的停滞であり、そして一方では金融イノベーションと新たなアメリカン・ドリームの出現である。その成功者を代表するのが、本書でたびたび登場するピーター・ティールなのだ。しかしその背景には、ティールが育った家庭環境と、秀才の名を一身に受けた学生時代があり、一方ではロースクールを卒業してからの挫折と、既存のビジネスの退屈さにやり切れない思いが募っていった、という側面がある。
今年一番のビジネス書に『ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか』を推すことに異論はない。しかし、ピーター・ティールがその著書の中でなぜあれほど読者を煽るような発言を繰り返すのか、それを知るためには、そしてもっと言うならば、そんなティールを時代の寵児として産み落としたアメリカの現在がどのように生じてきたのかを理解するためにも、本書『綻びゆくアメリカ―歴史の転換点に生きる人々の物語』を強く薦めたい。個人的には、『ゼロ・トゥ・ワン』以上に読まれるべき一冊だと思っている。
Amazon Campaign

関連記事
-
-
少年よ、大木を抱け。WOOD JOB!
本屋大賞を受賞した三浦しをん『舟を編む』で思わず国語辞典にはまってしまった僕が、その後辞書を一式揃え
-
-
フェイスブックのパーソナルデータが明らかにする、米国スポーツチームのファン境界線はココだ。
これまで何度か書いてきたが、フェイスブックのデータサイエンスチームというのは、いつも興味深いデータを
-
-
年収は「住むところ」で決まる: The New Geography of Jobs
"How Professional Salaries Vary Around the Country
-
-
今からでも遅くない|しっかり学ぶ統計学おすすめ教科書と関連書15選
今こそしっかり統計学を学ぼう 以前に「統計学が最強の学問である、という愛と幻想」で書いたように、こ
-
-
赤瀬川原平『新解さんの謎』と『辞書になった男』:いま日本で最も売れている「新明解国語辞典」の誕生秘話
これまで何度か、各種おすすめ国語辞典のそれぞれの個性について書いてきたが、その中でも最も「個性的」な
-
-
NHK探検バクモン「激闘!将棋会館」が面白かった|人工知能時代の天才棋士たち
先日NHKで放送された「探検バクモン」をご覧になっただろうか?「激闘!将棋会館」と題された今回は、東
-
-
シンガポール建国50周年|エリート開発主義国家の光と影の200年
先日で建国50周年を迎えたシンガポール。Economist や、Wall Street Journa
-
-
ヒマラヤ山脈でイエティの足跡を発見|雪男は向こうからやって来た
ヒマラヤ山中で伝説の雪男「イエティ」の足跡を発見したと、インド軍が公式ツイッターに写真つきで投稿した
-
-
ゴリラ研究者にして京都大学新総長・山極寿一『「サル化」する人間社会』が、もんのすごく面白かった
現在シーズン2が放送中のNHKスペシャル「ホットスポット」。先月放送された第一回の「謎の類人猿の王国
-
-
日本でいちばん売れている国語辞典『新明解』に待望の最新第8版が登場
日本でもっとも売れている国語辞典といえばなんでしょう? それはもう圧倒的に三省堂の『新明解国語辞典』