西水美恵子著『国をつくるという仕事』が称賛する、ブータン国王のリーダーシップ
ブータン訪問記の続き。
ブータン国旗は世界有数の複雑なデザインをしている。とくにドゥクと呼ばれる「雷竜」の細かさと、その格好良さは際立っている。また背景の色は、黄色が王室を、そして橙色が国教となっているチベット仏教を表現している。
そんなブータン国王の執務室がこちらだ。はためく国旗の向こうにあるのがその建物だ。もちろん中に入ることはできないのだが、かなり近くまで行くことができる。旗のこちら側は官庁街で、日本でいうところの霞ヶ関だ。といっても人口70万人のブータンではその規模もとても小さく、建物もすべて平屋という造りとなっている。
ブータンの公務員は伝統的な正装で登庁することが義務付けられており、男性は「ゴ」、女性は「キラ」と呼ばれるこの服装をしている。この建物とこの風景に、もっといえばこの地が醸す空気に実に馴染んだ格好である。と同時に、日本の普段着でここにいる自分がなんだかとんでもなく浮いた存在に思えてくる。
ヒマラヤ山麓の高地とはいえブータンの首都ティンプーにもちょうど春が訪れたところだった。花は咲き、子供は外で遊び、周りを歩くのが楽しい時期に訪れることができたのは、実に幸運だったと言えるだろう。
そんなブータンの王室と国王の人となりについては、西水恵美子著『国をつくるという仕事』が大変参考になった。この地を訪れる前にブータン本をずいぶんと読んできたのだが、その中でもブータンの政治についてとても詳しく書かれた一冊だ。それもそのはず、著者はプリンストン大学経済学部助教授を経て世界銀行に飛び込み、2003年にを退職するまで南アジア地域の副総裁を務めた人物だ。
「国づくりは人づくり。その人づくりの要は、人間誰にでもあるリーダーシップ精神を引き出し、開花することに尽きると思う」と語る著者が、数多くの国家首脳と渡り合ってきた経験の中でも、「世界で一番学ぶことが大きかった国だ」と紹介するのがこのブータンだ。とくに、当時のブータン国王(現国王の父親)と、さらにその父親(雷龍王三世)の国づくり人づくりのリーダーシップを尊敬し、「世界中で最も会いたいリーダーは誰か」というよく聞かれる質問に、「躊躇せず雷竜王三世の名を挙げる」という。
また、三世の後を継いで政治改革を加速させた雷竜王四世に対しても惜しみなく敬意を表している。その最たるものが、四世の見事な引き際だろう。どんなに優れたリーダーであっても、優れているがゆえに長居をし過ぎ、その後の人材が育たないという懸念がある。しかしながら、周囲のそんな心配事とも無関係であり、鮮やか過ぎるほどに身を引いたのが、このジグメ・シンゲ・ワンチュク雷竜王四世だった。国王の退位年齢を65歳とすると自ら定めたのみならず、永遠に在位をと願う国民を叱り飛ばすかのように、周囲の予想を遥かに前倒して、2008年に51歳で実際に退位することとなった。その余りにも突然の譲位に、国民は茫然自失、全国に嘆きの声がこだましたという。しかしそれは、国は王室のものなどではないと国民の意識改革を促し、次の若い世代に未来を託すための、雷竜王四世にとって一番大事な仕事だったのだ。
国はその大きさで尊敬されるわけではない。その経済成長ぶりで称賛されるわけでもない。インドと中国という超大国に挟まれた極小の山岳国土しかないブータンが、今も最貧国の一つに数えられながらも世界の注目を集め続け、「学ぶことが多い」と言わしめるのは、代々の国王の哲学とリーダーシップゆえなのだと納得する一冊。著者の地に足の着いた経験をもとに南アジアの国々の政治史を学べる本書は、ブータンという国に興味がある人はもちろん、途上国の経済開発というテーマ、そして世界銀行の仕事に関心がある人にとっても、大いに目を開かせてくれる内容だと思う。
Amazon Campaign

関連記事
-
-
日本人の9割が間違えちゃう英語表現と英語常識
以前にも紹介したキャサリン・A・クラフト著『日本人の9割が間違える英語表現100』は、面白く読めるエ
-
-
『ヤバい統計学』他で学ぶ数字のセンス|統計リテラシー入門におすすめの4冊
以前にも「『ヤバい統計学』とテーマパーク優先パスの価格付け」で紹介したように、カイザー・ファング著『
-
-
【再掲】今年の3月14日は世紀に一度のパイの日だった
すでにご存知の通り、3月14日といえばホワイトデー、ではなくて「パイの日」と答えるのが大正解である。
-
-
圧倒的ユニークな視点でつくるアカデミック・エンタテインメント|NHK「ろんぶ~ん」が面白い
先日まで、4週連続で放送されたNHK番組「ろんぶ~ん」、ご覧になりましたか? これは以前にも放送され
-
-
都立浅草高校国語教師・神林先生が愛してやまない飲み屋と呑み助と大将と女将
自宅や実家での新年気分も終わり、今週末あたりから町の飲み屋に繰り出すか、という人も多いかも知れない。
-
-
英国一家、最後に日本を食べる&お正月スペシャル
コアな人気を博していたNHK深夜アニメ「英国一家、日本を食べる」。ベストセラーとなった原作も素晴らし
-
-
文庫で学ぶ行動経済学
昨年は間違いなく統計学がブームとなった一年だった。「今年続けて読みたい統計学オススメ関連書と教科書1
-
-
東京藝大で教わる西洋美術の見かた|基礎から身につく「大人の教養」
2022年1月3日から、BSイレブンで新番組「東京藝大で教わる西洋美術の見かた」が始まる。これはぜひ
-
-
グラデーションマップで類似英単語を効果的に使い分ける
評判のよい英単語帳を新たに買って読んでみた。そしたらこれが期待以上によかったので紹介しておきたい。そ
-
-
ジョジョの奇妙な英語にまさかの続編ガァァァ|あのクールな台詞はこれで学べ
以前に「ジョジョの奇妙な冒険で英語を勉強するなんて、無駄無駄無駄無駄無駄ですか?」でご紹介した英語テ
Amazon Campaign
- PREV
- 留学前に。
- NEXT
- アートは小説よりも奇なり:盗作と贋作の歴史、美術ノンフィクションが面白い