アメリカで最もお世話になったあの老夫婦がこの夏日本にやって来る
僕が米国留学で一番お世話になったのは、ひょっとすると大学院の指導教授ではなく、むしろアカデミックとは全く関係のないこの老夫婦なのではないかというのは以前に何度か書いてきた。アメリカの郊外に住む70代後半の白人夫婦で、近所に二人の娘家族と二人の息子家族が住む。老旦那は中小企業を経営し今も現役で毎朝早くから出かけていく。老婦人は別途有職でやはり朝早く起き夜も早く寝るという規則正しい生活を送っている。共和党支持者であり、エヴァンジェリストであり、創造論を信じる。つまり進化論の否定だ。
そういう人たちに日本でお目にかかることはまずないが、アメリカでもリベラルな大学内で宗教色(とくにキリスト教)の濃い人たちと接する機会というのは極めて少ない。だからこそ、僕はこの老夫婦と知り合い、毎年夏と冬には遊びに行き、そしてアメリカならではの暮らしや考え方に触れたことが、アメリカ留学中の何物にも代えがたい経験となっているのである。
そんな老夫婦の長女からは、日本よりもはるかに一般的に行われている米国内での養子縁組について学んだ。長女夫婦は子供を授からなかったために、養子をもうらこととした。その養子の産みの母親はまだ十代で子供を育てられる経済的余裕はない。日本であれば中絶という選択肢もあるなか、アメリカにおいては宗教的観点から中絶に絶対反対している人たちが多数おり、それが毎回の大統領選挙の争点の一つともなることを記憶している方も多いことだろう。
だから、中絶しないけれども自分では子供を育てられない、という層が一定数おり、それが養子を出す側となっている。また、養子をもらう側とのマッチングには、専門のエージェンシーが関わっており、そんな専門職が進めるプロセスは、「アメリカと日本と国際養子縁組」で書いたように、実にアメリカ的なものであった。
また、老夫婦の次女は、老夫婦が通う地域の伝統的な教会ではなく、いま米国内でものすごい勢いで増殖しているメガチャーチに通っている。「現代アメリカ社会の象徴:メガチャーチの誕生と新たなコミュニティの創造」で書いた通り、この巨大教会は政治とも密接に繋がり、アメリカ郊外のコミュニティを大きく変貌させつつある。
「教会」という言葉からイメージするものとは全く違う外観。内部で行われる儀式も、僕が見る限り伝統的なものとは大きく異なる。一言でいうならばライトでカジュアルな宗教サークル。しかしその背景には、綿密に練られたマーケティングがあり、そういうお手軽さこそが、教会から遠のいていた人たちをもう一度この場に惹きつける重要な要因となっているのだ。ただ、それは言葉を替えて言うならば、「『ゼロ・トゥ・ワン』のティールと米国社会の変容『綻びゆくアメリカ』」の中でも述べた通り、この二十年の間にゆっくりと綻んできたアメリカのコミュニティと進むべき道を失いかけていた人たちの受け皿となったのが、このメガチャーチであるように思えてならない。
そんなメガチャーチに子供四人を連れて通う次女家族だが、その次女が予防的手術として両乳房を切除するという決断をしたことも驚きだった。「パーソナルゲノム時代の医療:米国の予防的手術」で書いたように、アンジェリーナ・ジョリーがこれと全く同じ手術をしたことで大きく報道されるようになったこの「予防的手術」は、しかし老夫婦の次女の例に見られるように、決してハリウッド女優やその他富裕層のためだけのものではないのである。もっと広く庶民レベルにまでこの「遺伝子医療革命」が広がっているのだと、身近で実感したのもまたアメリカならではの経験だったと思う。
このようにして、僕はこの老夫婦とその娘・息子家族たちを通して、アメリカについて多くのことを学んだように思う。一方でそんな彼らは極めてドメスティックで、行ったことのある外国といえばカナダだけ。東京とソウルが電車で行けると思っているような、世界地理オンチでもある。
そんな彼らが、なんとこの夏日本に来たいと行ってきたではありませんか!めちゃくちゃビックリでまだ本当に来るのか疑っているくらいだ。とはいえ、彼らにとって間違いなく一生に一回の機会となる日本訪問、どころか異文化に接することが自体が生まれて初めてかも知れない。そんな老夫婦をどこに案内したらよいか、いまものすごく思案しているところなのである。というわけで、まずは現在大幅セール中だった本書『英語で日本紹介ハンドブック』を読み始めたところ。
それ以外にも、以前に「ニッポンの国宝と景観を守る:外国人だけが知っている美しい日本」で紹介したように、最近は外国人が日本の魅力を紹介することが多くなってきた。こうした書籍も参考にしながら、アメリカ人老夫婦にどんな日本を知ってもらおうか、楽しくも悩みながら、この夏の過ごし方を考えている次第だ。ぜひ思い出の夏にしたいね。
Amazon Campaign
関連記事
-
2020年の夏は2つのバンクシー展が開催
以前に「オークション落札のバンクシー作品をシュレッダーで刻むという現代アート」と紹介したように、常に
-
三浦しをんのマニアックな職業視点がいちいち面白い:今度の舞台は社史編纂室
次々と面白い小説を発表し続ける三浦しをん。そんな彼女のモチベーションは、世の中にこんな仕事があったな
-
米国人一家と英国一家が美味しい日本を食べ尽くす
ちょっぴり巷で評判の『米国人一家、おいしい東京を食べ尽くす』を読んでみたら、これが思いの外おもしろか
-
日本でいちばん売れている国語辞典『新明解』に待望の最新第8版が登場
日本でもっとも売れている国語辞典といえばなんでしょう? それはもう圧倒的に三省堂の『新明解国語辞典』
-
2016年のベストセラー書籍トップ10冊
2016年も残すところあとわずか。それでは今年も本ブログを通じてのベストセラー書籍を上位10点紹介し
-
NHK探検バクモン「激闘!将棋会館」が面白かった|人工知能時代の天才棋士たち
先日NHKで放送された「探検バクモン」をご覧になっただろうか?「激闘!将棋会館」と題された今回は、東
-
経済学を学ぶなら読んでおきたい『若い読者のための経済学史』|イェール大学出版局リトル・ヒストリー
以前にも紹介した、イェール大学出版局のリトル・ヒストリーシリーズ。これはさまざまな学術分野をその道の
-
日本将棋マネーリーグ|今年も賞金ランク首位は豊島将之竜王、藤井二冠は?
先日は毎年恒例の「欧州サッカー・マネーリーグ」が発表され、今年もスペインのFCバルセロナが収入ランキ
-
出版不況なのに「TikTok売れ」で緊急重版|あの実験的小説の新しい売り方・売れ方
先日紹介した書籍『10代のための読書地図』は、本当におすすめなので、ぜひまだの方には読んでみて欲しい
-
日本囲碁マネーリーグ|賞金ランク首位・国民栄誉賞の井山裕太
さてさて、1-2月にかけては毎年、それまでの一年間の各種ランキングが発表されることが多い。僕自身が毎